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今日(令和6.4.22)から2泊3日で、金沢と能登(中能登町と七尾市)へ出張する。


複数の[OUEN COMPANY]の皆さんも同行する。9:20東京発〜11:52金沢着の「かがやき501号」に乗車。2時間32分の新幹線の旅だ。もし、この北陸新幹線がリニアになったら、1時間で"ふるさと石川"に帰ることができることになるだろう。そんなにまでしてリニアにする必要はあるのかと思う反面、国内の移動は時間的にも飛行機を凌駕することになると思うと、その驚きは尋常ではない。その時期は孫の時代なんだろうが。


今日から、新生[OUEN Japan]がスタートする。[OUEN Japan]は、その名の通り、「日本を応援する」NPOとして、平成26年1月に設立した。


コロナ禍で中断を余儀なくされたが、学生たち(日本人大学生および来日留学生)の応援団として、コロナ禍前に[OUEN 塾]を福岡と石川で開催していた。


[OUEN 塾]は、学生たちと日本各地の地元企業との交流事業だ。日本人大学生と来日留学生が一緒になって、その地域で頑張っている企業のことを知るイベントだ。企業の事業内容を知るための企業訪問が目的だが、企業に働く人たち(経営者や経営幹部、外国人を含む社員)との交流で、働いている日本人や外国人の話しを聞くことで、日本そのものを机上ではなく体感として知ることでもあり、国際交流にもつながる。延いては、それがその地域を応援することにもなるとの思いがあった。


[OUEN 塾]の開催に当たっては、福岡や石川の地元企業のみならず、私がいつもお世話になっている首都園をはじめとする少なからずの[OUEN COMPANY]の皆さんのご協力もいただいた。コロナが落ち着いて、もうそろそろ、新しく[OUEN 塾]をスタートさせようと思っていた矢先だった。今年元日の能登半島地震だ。はて(朝ドラ「虎に翼」の影響)、何で能登とは?


能登は私のふるさとだ。

そして、思った。考えた。


日本を応援する[OUEN Japan]は、能登の復興を応援する[OUEN ISHIKAWA]からスタートさせようと。能登の復興に企業の皆さんにも加わっていただくことで、その返刀は企業を応援する[OUEN COMPANY]になる。また、学生たちを巻き込んで、彼らが能登の復興を応援することで、それが新生[OUEN 塾]にもなる。そして、そのブレインを[重陽の会]のメンバーの皆さんになっていただこう。


3月、今年初めて、金沢と能登に出張した。今回が2回目になる(これから毎月の石川県出張になるだろう)。石川県の皆さんのいろいろなお話しをお聞きして、[OUEN Japan]が対応できることを一つづつ実行していこうと思う。


そのため、[OUEN COMPANY]の皆さんとの同行や、学生たちを巻き込む[OUEN 塾]ができればいいと思う。そのための[重陽の会]も開催して、メンバーにその知恵袋になっていただこう。


また、来年の1月25日(土)に、東大駒場で[OUEN Japan 信念会]〜テーマ 能登復興応援〜を開催する予定だ。能登の首長の皆さんにもご出席いただきたい。できれば、能登の物産展も開催したい。これからの5月〜12月の8ヶ月間は、[OUEN COMPANY]の皆さんへ声掛けして、できるだけ多くの企業の皆さんが[TEAM OUEN NOTO]に加わっていただけるよう、その組成に注力しよう。


いよいよ、新生[OUEN Japan]がスタートする。


さあ、幸せを求めて、能登に向かおう


不動院重陽博愛居士

(俗名  小林 博重)

 
 
 

今週は[重陽の会]のメンバーが2人増えた。2人とも、40歳前後の女性経営者だ。[OUEN COMPANY]の皆さんからのご紹介だ。


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私は、[OUEN Japan 信念会]をはじめ、ことある毎に、

「古稀を機に(第1の生の)生前葬&(第2の生の)出陣式を執り行ない、女性の応援団長として生まれ変わった」と[OUEN COMPANY]の皆さんにアピールしている。


それで、皆さんは、「団長にご紹介したい人がいる。

団長のネットワークを使って応援してあげてほしい」とか「団長は能登出身だ。

能登にも関わるビジネスをしている女性経営者をご紹介したい。お力になっていただけないか」などと仰って、ベンチャービジネスの若い女性経営者をご紹介してくださるのだ。私の能力に期待してくださっているからこそのことだ。


私が人さまのお役に立つことができると思っていただいているからこそのことだ。ありがたいことである。[重陽の会]は、女性経営者や経営幹部、およびそのような女性たちになりたいものだと思って努力精進している、"人生を前向きに生きている"50代〜20代の女性であれば、皆さんウェルカムという、"根明な女性たちの会"だ。当初は9名からスタートしたが、今日現在は出入りがあって、20名近くになっている。まだまだ増えていくだろう。


[重陽の会]というネーミングは、私の戒名である[不動院重陽博愛居士]の[重陽]から取っている。奇数(陽数)で一番大きい数字の"9"が重なる9月9日は、"重陽の節句"と呼ばれている。旧暦の9月9日は、新暦の10月中旬であり、この時期は菊の花が真っ盛りということで、"菊の節句"とも呼ばれている。

9月9日は重陽の節句!菊酒や栗ごはんなど菊の節句の行事食と由来|日比谷花壇 フラワーギフト・花の通販専門店日比谷花壇の「敬老の日 花ギフト・プレゼント特集 2023」では、コラム「9月9日は重陽の節


[重陽の節句の由来]「重陽の節句」は平安時代の初めに中国より伝わりました。

古来中国では、奇数は縁起が良い「陽数」、偶数は縁起の悪い「陰数」と考えられ、陽数の最大値である「9」が重なる9月9日を「重陽」と呼び、節句の1つとしました。

旧暦の9月9日は、現在の10月中旬ごろにあたり、まさに菊が美しく咲く時期です。

菊は「仙境に咲く霊薬」として、邪気を払い長寿の効能があると信じられていました。

菊を行事に用いたため、重陽の節句は別名「菊の節句」とも呼ばれています。重陽の節句では、菊の香りを移した「菊酒」を飲んで邪気を払い、無病息災や長寿を願います。

日本では、平安時代の初めに宮中行事の1つとなり、菊を眺める宴「観菊の宴」が開催されたり、菊を用いた厄払いなどが行われたりしました。また、時代とともに菊の風習は庶民の間でも広がり、江戸時代には五節句の1つとして親しまれる行事になっています。


[重陽]とは、"縁起が良いことが重なる"という意味であり、縁起が良い人たちの集まりが[重陽の会]である。"友だちの友だちは皆友だち"であり、"類は友を呼ぶ"ことで、そんな女性たちがどんどん集まってきてくださる。すなわち、人生を前向きに生きていこうと思っている根明の女性たちの集まりが[重陽の会]なのだ。

ビジネスもプライベートも渾然一体となって、人間的つながりができて、皆んなが幸せになる。人間は幸せになるために生まれてきたのだから、[重陽の会]は"人を幸せにする会"ということだ。

来る者は拒まず、去る者は追わず

自然体で和気藹々と交流し、助け合い、応援し合う。

人さまに頼りにされることは幸せである。私はそれに応えようと、できる限りのことをする。そして、それが少しでもできて、「ありがとう」と言われることに幸せを感じるのだ。人によっては、ビジネスとプライベートを峻別する人がいる。ビジネスにプライベートを持ち込まないことがポリシーと考える人だ。人それぞれの考え方だが、私は、「生きていくのに、ビジネスとプライベートの境などあるはずもない。そんなことを理由に、人のお世話をできない人は、人との深い付き合いができていなくて、人を紹介することができない人なんだろう。そんな人生は、実につまらない、寂しい人生ではないか」と思うのだ(公務員はその峻別が必要と思うが、だから私は公務員には全く相応しくない。すぐにお縄になってしまう。私は警察官僚にならなくてほんとに良かったと思っている)。

私が"人脈づくりの鉄則"としている8箇条がある。


[人脈づくりの鉄則]

1.最初から見返りを求めない

2.自分が魅力ある人間になる

3.自分から情報発信する

4.礼儀やマナーを大切にする

5.こまめに連絡する

6.オンとオフを分けない

7.聞き上手になる

8.どんな人にも敬意を払う


[重陽の会]は、そんな、相手を思い遣る"恕の心"を持った"人間通の女性たちの集まり"であってほしいと思う。



不動院重陽博愛居士

(俗名  小林 博重)


 
 
 

4月10日(水)、4時前に目覚める。6時間は眠った。熟睡とまではいかないが、それなりに寝足りた感がある。着替えて、徒歩2分の事務所に出かける。今日の天候は、昨日までの雨は上がり、快晴になるようだ。しかし、まだまだ寒い。最高気温は16度くらいで花冷えの一日だ。事務所で暖房を付ける。今、桜花は雨にも負けず、桜花爛漫というところか。




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新たに[OUEN Japan] のホームページをつくろうと思う。以前はあったが、事情があって、今はnoteのOUEN blogだけになっている。漸く、私の第二生と同様、ニュー[OUEN Japan]は体制を整備して、コンセプトもアウフヘーベンして、キックオフするところまできた。


2008年(平成20)5月、個人会社(南青山ビジネスパートナーズ)を立ち上げた。16年前だ。親しくしていた共立メンテナンスさんに、東京大学と東京工業大学の提携国際交流宿舎をつくっていただいたことがきっかけで、2014年(平成26)1月、学生たち(日本人大学生と来日留学生)を応援するNPO法人[OUEN Japan]を立ち上げた。 そして、私が理事長になった。未来を担う学生たちを応援する応援団だ。だから学生たちをはじめ皆さんは、私を"団長"と呼んでくれる。


[OUEN Japan]の理事をお引き受けいただいた梶山千里さん(当時は福岡女子大学理事長兼学長、元九州大学総長)のアドバイスで、福岡で[OUEN 塾]を開催しようということになった。学生たちと、主に地元企業との交流イベントだ。


縁もゆかりもない福岡だったが、いろいろな伝を頼って、大学と企業と自治体を訪問した。月に1週間は福岡に出張した。皆さん、お会いいただいても、「何で小林さんが?、福岡で?、そんなことを?」と、まともに取り合ってはくださらなかった。しかし、"石の上にも3年"という諺がある。苦節4年かかったが、2018年(平成30)2月、皆さんのご協力を得て、第1回[OUEN 塾 in 福岡]を開催することができた。そして、2019年(平成31)2月に北九州市も加わって、第2回のOUEN 塾である[OUEN 塾 in 福岡・北九州]を開催した。2020年(令和2)2月は、世の中がコロナで騒ぎ始めた時だったが、何とか、第3回を開催した。


私のふるさとである石川県も学生が多い地方自治体だ。ふるさとでも[OUEN 塾]を、と言うことで活動していたが、開催を考えた2020年(令和2)9月はコロナ禍の真っ最中。余儀なくWebでの開催にならざるを得なかった。


それから2024年(令和6)の今日まで、4年間、[OUEN 塾]は開催できていない。コロナも落ち着き、そろそろニュー[OUEN 塾]を、と思っていた矢先、2024年(令和6)元日に、ふるさと能登半島を大地震が襲った。


[OUEN Japan]は、"日本を応援する"NPOだ。


私は、学生・企業・女性・地域の応援団長になりたいと思う。皆んなで、明るく、肩を組んで、和気藹々と。私たちが住み、働き、学ぶ、皆んなの"ふるさとを応援したい"と思って、[OUEN Japan]のネーミングにした。

私のふるさとは能登半島だ。過疎地の先頭を走っている能登半島だ。


「能登半島から日本を元気にしよう」

これが私の第二生のミッションではないか。


この3ヶ月あまり、呻吟に呻吟を重ねてきた。4月になって年度も替わった。3ヶ月は、熟慮断行するにはちょうどいい期間だった。いろいろとしがらみがあったことも、昨日、何とか整理整頓することができた。そして、ニューホームページの制作である。


[OUEN Japan]のミッションの柱を「能登半島の復興応援」とする。

→[OUEN ISHIKAWA]


能登半島の復興応援に関わってくださる皆さん(学生、企業、女性)は[OUEN Japan]=小林博重が応援しようと思っている皆さんだ。


学生の応援→[OUEN 塾]

企業の応援→[OUEN COMPANY]

女性の応援→[重陽の会]


応援とはキャッチボール。応援して、応援される。応援の球を投げれば、応援の球が返ってくる。応援とは"やまびこ"のようなものだ。

私の人生の最後は、[OUEN Japan]で能登半島の復興を応援すること。それに関係する皆さんを応援すること。100歳まで現役で応援をし続けたいと思う。


念ずれば花開く(坂村真民)


人間の能力は無限だ。想いは必ず実現する(稲盛和夫)


不動院重陽博愛居士

(俗名  小林 博重)


 
 
 
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