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東京大学および東京工業大学と共立メンテナンスとのセッティングにより、共立メンテナンスさんにはそれぞれの大学の提携国際交流宿舎をつくっていただいた。

このことが切っ掛けになって、平成26年1月、日本人大学生および来日留学生を応援する[NPO OUEN Japan]を設立することに至った。


[OUEN Japan]は、未来を担う学生たちを応援することは、すなわち、"日本を応援(OUEN)する"ことであるとの思いがある。


[OUEN Japan]は、学生たちが多く学ぶ地方として、福岡県と石川県の二つの地方で[OUEN 塾]を開催した。[OUEN 塾]のイベントは、学生たちと、主に地元の企業の皆さんとの交流事業だ。


その後、

①2020年(令和2年)からコロナが蔓延し、[OUEN 塾]を開催することができなくなってしまったこと、

②2022年(令和4年)、私が古稀(数え70歳)になり、生前葬&出陣式を行なって、新たな人生をスタートしたこと、

③2024年(令和6年)元日、私のふるさとである能登半島が大地震に見舞われたこと、

この3つのできごとがあり、

【[OUEN Japan]のミッション="日本を応援(OUEN)する"】ことは不動であるが、その建て付けが変わってきた。


それと、今までは、ともすれば[OUEN Japan]は小林博重イコールのところがあったが、[OUEN Japan]れっきとしたNPO法人であり、生命に限りがある個人ではない。

また、"藍は藍より出でて、藍よりも青し"の諺もある。[OUEN Japan]のミッションを極めていくためには、多くの志高い人たちの力を借りて高めていくことが必要だろう。


すなわち、これからの[OUEN Japan]は、

①永続する法人の体をなす体制をつくること、

②ミッション達成のため、一層、純化・深化・進化し続けること、


そのために、ここで整理整頓して、新たなスタートを切りたいと思う。


⑴[OUEN Japan]のミッション

その名の通り、"日本を応援(OUEN)する"ことがミッションである。21世紀の日本は、「人口戦略会議」が警鐘を鳴らしたように、人口の急減は避けられない社会になっている。地方の人口急減はいずれは東京にもやってくる。これは、一地方だけの問題ではない。日本全体の問題である。そんな少子高齢化社会、人口減少社会が避けられない21世紀の日本において、それでも活力ある日本に再生しなければならない。

そのための一丁目一番地は、地方消滅の先頭を直走っている"地方の創生・再生"、その具体化にあるのではないか。[OUEN Japan]のミッションを、日本を応援(OUEN)する〜地方創再生〜としたい。


⑵そのプロジェクト

①[OUEN ISHIKAWA]

[OUEN Japan]のメンバーとともに、私が生まれ育ったふるさと能登の復興の応援をする。


そのメンバーとは、[OUEN 塾]の学生たちであり、[重陽の会]の女性たちであり、OUEN Japanの想いに賛同いただいた企業の皆さん([OUEN COMPANY])であり、石川県の地元の人たちや企業の皆さんだ。


[OUEN ISHIKAWA]は、[OUEN Japan]に関わる全ての人たちが関わってくださって、皆んなでWin-Win-Winの関係になるCoreのプロジェクトになる。そんなプロジェクトにしていきたいと思う。


[OUEN 塾]

[OUEN Japan]のスタートは、学生たちを応援するプロジェクトとしての[OUEN 塾]から始まった。


地域の企業を知る→地域を知ることが、地方創生につながるとの思いがある。


新しい[OUEN塾]は、[OUEN ISHIKAWA]のプロジェクトの一つのニュー[OUEN塾]として再開したいと思う。


③[重陽の会]

男女が実質対等な立場で、それぞれの持ち味・得手をフルに発揮し、共に手を携えて社会・組織を運営していくことで、より活力がある社会・組織を創っていくことができる。私は、あえて女性に光を当てることで、男女平等の社会・組織を創っていくことができると思っている。


そんな思いで、「女性経営者・経営幹部の交流会」として、[重陽の会]を立ち上げた。

[重陽の会]のメンバーには、[OUEN ISHIKAWA]にも深く関わっていただきたいと思っている。


④[OUEN COMPANY]

[OUEN COMPANY]は、[OUEN Japan]のミッションに賛同いただいた企業の皆さんだ。


[OUEN ISHIKAWA]には、直接的に、間接的にでも関わっていただきたい。


応援はキャッチボールだ。

応援していただいたら応援して差し上げる。倍返し、三倍返しだ。相身互いが応援(OUEN)の精神だ。


不動院重陽博愛居士

(俗名  小林 博重)


 
 
 

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3月〜4月と2ヶ月続けて能登に出張している。今月も22日〜24日に2泊3日で能登〜金沢〜富山に出張する。これから毎月、能登を中心として、石川県と富山県の北陸地方に出張することになるだろう。

"地方創生"がテーマだ。


昨日(5月1日)は、OUEN Japan 副団長と二人で、医療関係の仕事をしている先輩の会社を訪問した。


先輩は、私と同郷(石川県中能登町)だ。同郷と言っても、若い時からの知り合いではない。7年前だったろうか、北國新聞社東京支社の営業部長から、「団長と同じ、中能登町ご出身の社長をご紹介したい」と言われてご紹介いただいたのが初対面だった。社長の甥御さんは私とは高校が同期でもあった。同郷の誼で、お互いが人好きなこともあるのだろう。すぐにザックバランにお話しする間柄になった。それから、社長には[OUEN Japan]が開催する望年会や信念会にご出席いただいている。


医療業界は当然ながら、お人柄の成せるわざでもあろう、医療業界のみならず、社長は豊富な人脈をお持ちになっていらっしゃる。私は社長から一人ならず素晴らしい人たちのご紹介をいただいている。


今回の訪問は、

①私たち(OUEN Japan)が中能登町を訪問したご報告

②微力ながら、半島復興応援に懸けることのご報告

の2つだった。


同社の[経営理念]と[ビジョン]と[目指す人間性]は、私の想いそのままであり、社長の能登への想いは私と同様であろう。


これからの10年〜20年、それ以上かかるであろう能登の復興に、是非ともお力をお貸しいただきたいとの思いがあっての訪問だった。


社長は、私たち二人に能登復興のポイントとして、稲盛和夫さんの[アメーバ経営]と松下幸之助さんの[経営に成功する原則]のお話しをされた。


"地方創生には民から学ぶことが肝要"だと。


[アメーバ経営の目的]

1.全員参加経営の実現

2.経営者意識を持つ人材の育成

3.市場に直結した部門別採算制度の確立


[稲盛和夫さんのお言葉](京セラ創業)当時、私は、経営に関してはまったくの素人であったので、何を頼りに経営をしていくべきかで絶えず悩んでいたが、やがて、京セラ創業のベースとなった「人の心」というものが経営を進めていくうえで大切なものではないだろうかと考えるようになった。非常に移ろいやすいのも人の心なら、ひとたび結ばれると世の中でこれくらい強固なものもない。歴史をひもといても、人の心がどれほど偉大なことを成しうるかということは枚挙に遑(いとま)がない。集団を率いていくには、結局、人の心を頼りにする以上に確かなものはない、と考えたのである。アメーバ経営においても、人の心がベースとなっている。出典:『アメーバ経営』(日本経済新聞出版社)


また、産経新聞社の記者時代に、松下幸之助さんからお話しをお聞きになったことは、


学歴がないことをどう思っていらっしゃるのか?⇨自分に学歴がないことはどうということはない。

学歴があって、能力がある人に協力してもらえばいい。昔から身体が弱いことも何も苦にしていない。逆に、私が思うところを頑健な人に手伝ってもらえばいい。


何事も"素直な心を持つ"ということだ。



[経営に成功する原則]


経営には非常に勘が重要だ。しかし、勘だけではダメだ。また、データやコンピュータだけでもダメだ。資料をいくら重ね、そんなものを分析しても限界がある。


経営に成功するには"原則"がある。それを心得ないと絶対に成功しない。その条件は三つある。その三つを満たすことが重要だ。


第一(絶対条件)

経営の哲学、経営理念、志。


第二(必要条件)

一人ひとりの豊かな個性を最大限に生かし切れる環境の整備。その一人ひとりの内にある創造性を最大限に引き出すことに成功すること。


第三(付帯条件)

戦略と戦術を駆使すること。これは、決して絶対条件ではない。付帯条件にしか過ぎない。


地方創生は、松下幸之助さんと稲盛和夫さんの経営哲学から大いに学ぶことだろう。目先のことだけに目を配るだけではなく、大局的観点と長期的観点から物事を見て、考え、行動することだろうと。


中能登町から能登を復興させるためには、"民の力と知恵を取り入れる"ことだ。

[OUEN Japan]のミッションを果たすためには、そんなところがキーポイントだろう。


社長のお話しは、実にありがたく、大いに参考になった。

株式会社日本医療企画人間性豊かな活力ある地域社会の創造をめざす 

総合ヘルスケア情報企業です




不動院重陽博愛居士

(俗名  小林 博重)

 
 
 

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22日(月)〜24日(水)の2泊3日の石川県出張を終えて、22時半過ぎに帰宅した。[OUEN 塾]で福岡に月に4泊5日の出張していたことを思えば、その期間は半分であり、行き先は"ふるさと能登"でもあるのだが、何せふるさとに帰ったと言っても、町を出て半世紀あまりご無沙汰している。町に馴染みはあると言っても、今となっては何も福岡と変わらない。


60代と70代、10年の歳の差は大きい。高齢者と呼ばれる歳になった。今では、出張期間が半分でも、石川出張のほうが福岡より疲れたと感じる。歳には逆らえない。もう無理はきかない歳になったと思う。そして、東京に帰ってくるとホッとする。やはり住み慣れた東京が落ち着くのだ。今は、東京が私のふるさとなのだ。


ふるさとは遠きにありて思ふもの


歳を重ねる毎に、この詩を強く実感する。


44歳で銀行を退職して、転々と転職する日々が続いた。やはり、私は組織の中に生きることが性に合っていないと思って、独立したのが55歳の歳だった。稲盛和夫さんを敬愛しているが、経営の才がないことは身を以て自覚している。トマトはトマト。決してメロンにはなれない。トマトに徹することが幸せだ。そう思い直して、一匹狼(人寄せパンダ、ドラえもん)として生きていこうと思った。さりとて、凸凹人間の私が独りでできることはほとんどありはしない。ドラえもんでもドラミちゃんがいてほしい。そんなことで、ここ四半世紀、その"ドラミちゃん"さがしをしていたようだ。今まで、多種多様のドラミちゃんがいた。ほとんどのドラミちゃんは心優しい人だったが、中には食わせ者のドラミちゃんもいた。食わせ者のドラミちゃんは勿論のこと、ビジネスライクオンリーのドラミちゃんとも長続きはしなかった。心が清くて温かくても、それだけではビジネスパートナーにはなることができない。愛すべき人とビジネスパートナーとは違う。ベストは愛すべき人で、ビジネスライクを超えたハートがある人で、生きる哲学がニアリーイコールの人だと思う。お互いが気を使うようでは疲れて良い仕事はできない。凹んだところを埋め合うパートナー、それはビジネスパートナーを超えたライフパートナーだ。そして、それが周りに集まってくる人たち皆んなを幸せにする。そんなビジネスパートナー→ライフパートナーが理想だ。


そんなことを考えながら、4月の石川県出張を終えた。


5月は22日(水)〜24日(金)の2泊3日の予定だ。

中能登町〜七尾市〜金沢市〜に加え、5月からは富山にも足を延ばそうと思う。


不動院重陽博愛居士

(俗名  小林 博重)

 
 
 
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