top of page

 Leader's Blog

検索

ree

先月、[OUEN Japan]はJACE(一般社団法人日亜文化交流協会)宛に入会の申込みをし、同会から会員としてご承認をいただいた。私が同会を知ったのは、親しくお付き合いさせていただいている丸山裕さんから、JACE NGOの最上義副理事長をご紹介していただいたことが切っ掛けだ。


人口減少社会の日本のなかでも、能登半島地震を切っ掛けにますます人口減少に拍車がかかると思われる"超過疎地であるふるさと能登"の地方創生の応援を[NPO OUEN Japan]は何かできないものかとの思いを持って、3月から毎月、私が生まれ育った中能登町を訪問していること。中能登町のみならず、七尾市や羽咋市を含めた"中能登地域の地方創生の応援"をしたい。延いては、奥能登地域にまで足を伸ばして、地方創生の応援をしたいと思っていることを、丸山裕さんにお話ししたところ、丸山さんが、「それでは、友人の最上さんがJACE(日亜文化交流協会)の副理事長をしている。事務所にお連れするから会ってみてほしい」と言われ、お会いした。


JACE NGOsは、日本、バングラデシュ、カンボジア、香港、ガーナ、コンゴ民主共和国におけるNGO活動について、各政府からの活動許可を得ている国際団体です。日本に加え2002年にバングラデシュ、2003年にカンボジア、2014年に香港、2016年にガーナ、2023年にコンゴ民主共和国のそれぞれの政府から活動を許可されております。2018年8月には、国連本部のあるアメリカにて独立した米国公益法人格を取得いたしました。


最上さんに私の活動のアバウトのところをお話しし、そのあとZOOMでも毎月の能登出張の概要をお話ししたところ、「それでは、JACEが何か応援できることがあると思うので、JACEに入会したら如何か。[OUEN Japan]はNPOで非営利団体なので、会費免除申請書を提出いただければ会費は免除することができる」とのお話しをいただいた。


そして、会員にご承認していただいたあと、ZOOMで[OUEN Japan]の活動についてインタビューをしたいとのお話しがあり、昨日(7.11)のZOOMインタビューになったものだ。


そんなことで、"類は友を呼ぶ"、"友だちの友だちは皆友だち"であり、友だちの輪はドンドン拡がっていく。


インタビューで、[OUEN Japan]を立ち上げた経緯、[OUEN Japan]のミッション、および今までの[OUEN Japan]の活動、これから能登でしようとしている活動について、30分程度お話しした。


インタビュアーの大槻さんから、「いろいろな人が応援してくださると思う。最後に、皆さんに一言お伝えしたいことをお話しください」と促された。


「私は何も特別なことはしているとは思っていません。好きなこと、心が幸せになることを、自分のために、自分のことが第一と思って活動しています。自分が一番幸せだと思う時、嬉しい時はどんな時かと考えると、それは人から「ありがとう」と言われる時。その幸せの、嬉しい気分をたくさん味わいたいがために、人が喜んでくださるだろうと思うことをしているだけです。自己中なんですね。私は、忘己利他(もうこりた)や滅私奉公はできそうもないが、自利利他や活私奉公なら、私の利が一番大切だと思うから、喜んで一生懸命になってできるんです。皆んなが自利利他、活私奉公の気持ちで自分のために生きることをすれば、世の中はWin Win Win Win Win・・・・・の連鎖になって、世界は素晴らしい社会になるのではないかと思っています」


こんなことをお話しした。


こんな心境になったのも、古稀になって生前葬をして戒名(不動院重陽博愛居士)をいただいたからだろうと思う。"人間は生きながら生まれ変わることができる"のだ。


そして、"有言実行"だ。

こんなことをしてみたい、私が生まれてきた意味を知り、それを現実に形にしようと、言葉にして発し続け、行動をし続ければ、それは現実になっていくのだ。

最初、それは夢のようなことだったとしても、言葉に出すことで少しずつ自分の血肉になっていく。キレイな心になりたいと思い続けて、そのことを言葉に発し続けていると、有言実行、少しずつキレイな心になっていく。私は、ここのところ、そのことを身を以て体験している。


半世紀前、三船敏郎さんがサッポロビールのコマーシャルで「男は黙ってサッポロビール」と言ったが、これからは黙っていてはいけいない。言葉に出して、その言葉に縛られて生きる"強い精神力を持つ"ことだ。それが真の強さになり、優しさになっていく。


不動院重陽博愛居士

(俗名  小林 博重)

 
 
 

ree

東京都知事の七夕決戦は現職の小池都知事の横綱相撲に終わった。8年間の小池都政が"まずまず合格点だ"と都民が評価したと言うことだろう。


自由民主党や公明党はステルス選挙で小池さんを応援したが、勝ったのは小池さんであり、自由民主党や公明党ではない。決して地方選挙で連戦連敗だった自民党の低落傾向の流れが止まったわけではない。


また、蓮舫さんを応援した立憲民主党は地方選挙での連戦連勝の勢いを都知事選に持ち込もうと考えたのだろうが、そうは問屋が卸さない。石丸さんの登場で3位に甘んじて惨敗と言うことになった。立憲民主党のショックは甚大ではないだろうか。


これからの日本の政治を立憲民主党に任せたいと都民・国民が思っているわけではないと言うことが明確になったからだ。


兎に角、与野党とも、既成政党への信頼が極めて落ち込んでいるのだ。石丸伸二さんの言動には賛否両論があるが、今の政治や既成政党の体たらくに一石を投じたのは間違いない。大化けする人かも知れない。


そして、私個人の感想だが、今回の都知事選挙にとても満足している。その言わんとするところは、今までの意味のない常識や習慣はこれからどんどん崩れ落ちていく、そんな、"極く当たり前の時代"になってきたと言うこと。だから、自分たちのことは自分たちの頭で考え、それを地道に行動に移していくことが、これからの日本を変えていくことができるということだ。


まさに、"自立した人間の時代"であり、"本来の地方自治の時代"になったと言うことだ。いい時代になりつつある。[OUEN Japan]の能登の創再生の応援について、この"自立した人間の時代"、"本来の地方自治の時代"という2つのフレーズをベースにして、長丁場のチャレンジをしていきたいと思う。



昨日(7月7日)、来年(令和7年)の[OUEN Japan]信念会のご案内メールを、今年の[OUEN信念会]にご参加いただいた180名の方々を中心に、下記内容のメールを発信した。


[令和7年 OUEN信念会のご案内]各位(皆さんにはBCCでお送りしています)お世話になります。[OUEN Japan]団長の小林博重です。令和6年は半分を過ぎたところですが、鬼が笑うことを承知で、来年(令和7年)の[OUEN Japan信念会]のご案内をさせていただきます。


日時:令和7年1月25日(土)15時~18時(3時間)

場所:東京大学駒場生協食堂(最寄駅は井の頭線駒場東大前駅)

会費:10,000円(消費税込み)

テーマ:能登の創再生の応援

参加者:300名を目途※能登の皆さんにも多くご参加いただきます。

その他:能登の物産展も開催する予定です。


私は石川県能登半島の南部にあたります中能登町に中学3年生(15歳)まで育ちました。元日に能登半島地震が襲い、奥能登地域は甚大な被害に見舞われました。半島の先で行き止まりの地域ということもあって、地震から半年が経過した今も、奥能登は仮設住宅の建設は遅々として進まず、未だ水道のインフラが回復していないところも散見されます。中能登地域は、和倉温泉がある七尾市も被害が大きかったですが、中能登町はさほどでもなく、地震による死者はゼロでした。


私は、3月から月に一度の頻度で、生まれ育った中能登町や隣の七尾市を訪問し、皆さんのお話しに真摯に耳を傾けております。


[OUEN Japan]はその名の通り、日本を応援するNPOです。能登へ毎月2〜3日の頻度で訪問しますが、これからは1週間の出張をすることも考えています。


まずは、中能登町・七尾市・羽咋市の中能登地域の創再生の応援をします。奥能登地域が国や県の取り組みをいただいて、私たち民間の力でサポートできるようになったところで、奥能登に手を伸ばして、応援をしたいと思っています。


そして、人口減少社会の日本において、能登を過疎地のモデル自治体にしていくことが、日本の創再生になるのだと確信しています。


[OUEN Japan]のミッションは、

1.学生たちの応援

2.女性たちの応援

3.[OUEN Japan]を応援してくださる企業(OUEN Company)の皆さんの応援です。


これに加え、私のふるさとの"能登の創再生の応援"をしていきたいと思っています。東日本大震災は13年経っても、まだまだ復興半ばです。日本の盲腸と言われることもある能登半島の創再生は、15年〜20年、いや30年かかるかもしれません。私が100歳まで現役で頑張ることができたとしても、あと29年弱です。この応援活動が私の生涯最後の社会貢献活動になるでしょう。持てる力をフルに発揮して人生を全うしたいと思っております。私が持てる力と言っても、それは私の健康が一番ですが、私が応援している学生さんの力、女性たちの力、OUEN Companyの皆さんの力が私の力になります。皆さんの、温かく、きれいな力が、私の持てる力です。


応援とは、キャッチボールです。いい球を投げれば、いい球が返ってきます。応援していただいたら、応援して差し上げる。私はこのことを東大応援部で学びました。そして、お世話になった方々には、私は、倍返し、3倍返しをする。それが真の応援だと思っています。是非とも、能登の創再生を応援する[OUEN Japan]を応援いただきますよう、どうぞよろしくお願いします。毎月、私から、メールでご案内を差し上げようと思っています。来年のことですが、ご予定に入れていただければ幸甚です。[OUEN Japan] 団長 小林 博重


8月からも毎月、トピックスを入れてメールを発信しようと思う。私はITリテラシーが皆無であるため、私をサポートしてくれている人たちにお知恵を拝借して、SNS発信をしていこうと思う。


100歳までの長丁場の戦いになる。半年前からの[OUEN信念会]のメール発信は早すぎることはない。


やっとスタート台に立ったというところだ。熱いハートを、もっと熱く。これから一段二段とギアを上げていこうと思う。


不動院重陽博愛居士

(俗名  小林 博重)


 
 
 

ree

田中真澄先生から、上梓された彼の99冊目の著書『大谷翔平に見る商売繁盛の基本』〜私は、一人の若者に、私が希求してきた商売の大本を見た!〜(パルス出版)をご恵贈いただいた。


ree

大谷選手は、而立(30歳)前のあの若さでありながら、いつも明るく、何事にも前向きで、絶対積極である人生に対する生き方の姿勢は、七転八倒して苦労を磨き砂にしてやっと到達するであろう"人生の達人"の域にまで、すでに到達している。まさに野球のみならず、人生においても"超人"ではないかと思う。非の打ち所がない彼から学ぶことが極めて多いのはこの私だけではないだろう。田中先生も、昔から説かれておられた人生に対するあるべき姿勢を大谷選手の中に見られたのだろう。


《目次》

序章 大谷翔平が体現している商売繁盛の基本体系


第1章 大谷翔平は日本の伝統が生んだ賜物

①日本人は良い習慣を大切にしてきた民族

②周りの人のために頑張るのが日本人

③良い習慣の訓練で最適の場は家庭

④商売は善悪が先で損得は後

⑤大谷翔平は「商売繁盛の基本」の実戦者


第2章 人生を成功させる2つの原則

①大谷翔平に見る2つの原則

②良い習慣を守り続けた人は人生に満足している

③自己成長に終わりなし

④大切にすべきは私たちが皆持っている3つの財産

⑤3つの平等な財産の関係性とその活用


第3章 時間の有効活用による専門力の形成

①自分の得手開発に時間の集中投下

②大谷翔平の生き方に見る努力の方向

③「一専」そして「多能」の生き方に意識を向ける

④中途半端な生き方がいちばん損!

⑤「レストラン花の木」の存在価値に学ぶ


第4章 ことばの有効活用で形成する対人力

①ことばには「言語」と「非言語」がある

②大谷翔平は非言語活用の優等生

③連絡マメの人間を目指そう

④何事も即時対応する人に世間の信頼は集まる

⑤大谷翔平の振りを見れば商売繁盛のコツがわかる


第5章 「こころ」の有効活用

①心構え(心を作る習慣)は人間力の機関車 

②心構えを作る習慣について検討する

③積極性の心構えを作る行動の習慣

④積極性の心構えを作る考え方の習慣

⑤明朗性の心構えを作る行動の習慣

⑥明朗性の心構えを作る考え方の習慣

⑦利他性の心構えを作る行動の習慣

⑧利他性の心構えを作る考え方の習慣


おわりに

〜結局は良い習慣と心構え〜

田中先生と私の最初の出会いは、私が安田信託銀行で神戸支店から人事本部(人事教育部)に異動して、入社1年目の総合職員の研修を担当した時ではなかったかと思う。今から40年前の昭和60年(1985年)、私が入社9年目の32歳の時だった。私の上司は、銀行員とは思えない、ユニークで型破りの発想の人だった。だからこそ、田中先生を新入社員研修の講師にお呼びしたのだろうと思う。


田中真澄先生は福岡県大牟田市出身。現在、88歳の米寿を迎えられて、現役バリバリである。東京教育大学(現筑波大学)を卒業され、日本経済新聞社に入社。日経マグロウヒル社(現日経BP社)を経て、昭和54年、43歳で独立。以来45年に亙り、社会教育家として講演と執筆を通じて多くの人たちにやる気を起こさせ、生きる勇気と感動を与えてくださっている。今回お送りいただいた著書は99冊目である。


田中先生の新入社員向けの熱誠講演は、新入社員のみならず、初めて銀行の人事教育に携わった私にとっても驚天動地の感動物だった。単なる社会人として生きていくノウハウ論ではなく、人生の本質論だった。「長い人生を如何に生き生きと生きていくか」、「人間にとって幸せとは何か」を考えさせられる素晴らしい講演だった。銀行に入社し、10年近くが経っていた。会社の皆さんに、「小林さんは、将来の安田信託銀行を支えていく人物だ。その素養を有り余るほど持っている。将来の社長候補だ」と煽てられ、有頂天になっていた。そして、一歩づつ出世の階段を昇っていくことが、いつの間にか私の人生の目的になっていた。


田中先生は、「"寄らば大樹"のサラリーマン根性で生きてはダメだ。年中無休、24時間営業の個人事業主の精神を持つことが、"幸せな人生"をつくっていく」ということを、言葉だけではなく、全身を使って、汗だくになって表現された。まさに"熱誠講演"だ。こんな迫力ある講演を私は今の今まで聴いたことがない。それからずっと、"どんな生き方スタイルが私に相応しいのか"、そのことが頭を離れなかった。そして、機会がある毎に田中先生の講演を、何度もリアルで聴いた。CDも買って聴いた。


そして、ずっと田中先生の仰るような人生を生きてみたいものだと思っていた。しかし、サラリーマンではそんな生き方はなかなかできはしない。そんな思いが潜在意識の中に埋もれていたのだろう。40歳を過ぎて、盛和塾の塾生であった中小企業の社長たちから稲盛和夫さんをご紹介された。

稲盛さんとの出会いで、潜在意識の中に埋もれていた思いが頭を擡げてきたのだ。それは、ちょうど銀行に金融自由化の荒波が押し寄せてきた時だった。

私は、銀行の目指すところと私の想いにズレが生じてきたことを感じる日々を過ごしていた。あるトラブルがあり、銀行とぶつかることがあった。


そして、45歳になる前に、清水の舞台から飛び降りるように銀行を中途退職したのだ。


そして、今の私がある。

田中真澄さん〜稲盛和夫さんとの出会いが今の私をつくっている。


①古稀を機に、生前葬&出陣式を取り行った。第一の人生(その成功と失敗の経験)の高下駄を履いて、第二の人生を生きていこうと思う。


②その第二の人生は、決して下り坂の人生ではない。さりとて、若い時にしたような、垂直登攀の登り坂の人生でもない。私の第二生は、汝自身を知って、人との和の中で、彼らたちの力を借りることによってオールラウンダーになり、ゆっくりと、ゆったりと、世のため、人のために生きる、緩やかな上り坂の人生を送りたいと思う。


③西郷南州遺訓の第30番には、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」とある。この歳になって、何に価値があるのか、どんな生き方が幸せな人生なのか、ようやく分かってきたように思う。もうブレることはない。私なりの、そんな"仕末に困る人生"を送りたいものだと思う。


④私の第二生のミッションは、"能登の創再生"の応援団長になることだ。東大応援部で、"応援とは何か"を追求(追究)することを始めてから半世紀以上が経つ。漸く、私の応援は"ふるさと能登"にあるのだと、そのために今までの半世紀があったのだと思う。


能登の地で、私の第二生の命を燃やそうと思う。


不動院重陽博愛居士

(俗名  小林 博重)

 
 
 
bottom of page