4月10日(水)、4時前に目覚める。6時間は眠った。熟睡とまではいかないが、それなりに寝足りた感がある。着替えて、徒歩2分の事務所に出かける。今日の天候は、昨日までの雨は上がり、快晴になるようだ。しかし、まだまだ寒い。最高気温は16度くらいで花冷えの一日だ。事務所で暖房を付ける。今、桜花は雨にも負けず、桜花爛漫というところか。

新たに[OUEN Japan] のホームページをつくろうと思う。以前はあったが、事情があって、今はnoteのOUEN blogだけになっている。漸く、私の第二生と同様、ニュー[OUEN Japan]は体制を整備して、コンセプトもアウフヘーベンして、キックオフするところまできた。
2008年(平成20)5月、個人会社(南青山ビジネスパートナーズ)を立ち上げた。16年前だ。親しくしていた共立メンテナンスさんに、東京大学と東京工業大学の提携国際交流宿舎をつくっていただいたことがきっかけで、2014年(平成26)1月、学生たち(日本人大学生と来日留学生)を応援するNPO法人[OUEN Japan]を立ち上げた。 そして、私が理事長になった。未来を担う学生たちを応援する応援団だ。だから学生たちをはじめ皆さんは、私を"団長"と呼んでくれる。
[OUEN Japan]の理事をお引き受けいただいた梶山千里さん(当時は福岡女子大学理事長兼学長、元九州大学総長)のアドバイスで、福岡で[OUEN 塾]を開催しようということになった。学生たちと、主に地元企業との交流イベントだ。
縁もゆかりもない福岡だったが、いろいろな伝を頼って、大学と企業と自治体を訪問した。月に1週間は福岡に出張した。皆さん、お会いいただいても、「何で小林さんが?、福岡で?、そんなことを?」と、まともに取り合ってはくださらなかった。しかし、"石の上にも3年"という諺がある。苦節4年かかったが、2018年(平成30)2月、皆さんのご協力を得て、第1回[OUEN 塾 in 福岡]を開催することができた。そして、2019年(平成31)2月に北九州市も加わって、第2回のOUEN 塾である[OUEN 塾 in 福岡・北九州]を開催した。2020年(令和2)2月は、世の中がコロナで騒ぎ始めた時だったが、何とか、第3回を開催した。
私のふるさとである石川県も学生が多い地方自治体だ。ふるさとでも[OUEN 塾]を、と言うことで活動していたが、開催を考えた2020年(令和2)9月はコロナ禍の真っ最中。余儀なくWebでの開催にならざるを得なかった。
それから2024年(令和6)の今日まで、4年間、[OUEN 塾]は開催できていない。コロナも落ち着き、そろそろニュー[OUEN 塾]を、と思っていた矢先、2024年(令和6)元日に、ふるさと能登半島を大地震が襲った。
[OUEN Japan]は、"日本を応援する"NPOだ。
私は、学生・企業・女性・地域の応援団長になりたいと思う。皆んなで、明るく、肩を組んで、和気藹々と。私たちが住み、働き、学ぶ、皆んなの"ふるさとを応援したい"と思って、[OUEN Japan]のネーミングにした。
私のふるさとは能登半島だ。過疎地の先頭を走っている能登半島だ。
「能登半島から日本を元気にしよう」
これが私の第二生のミッションではないか。
この3ヶ月あまり、呻吟に呻吟を重ねてきた。4月になって年度も替わった。3ヶ月は、熟慮断行するにはちょうどいい期間だった。いろいろとしがらみがあったことも、昨日、何とか整理整頓することができた。そして、ニューホームページの制作である。
[OUEN Japan]のミッションの柱を「能登半島の復興応援」とする。
→[OUEN ISHIKAWA]
能登半島の復興応援に関わってくださる皆さん(学生、企業、女性)は[OUEN Japan]=小林博重が応援しようと思っている皆さんだ。
学生の応援→[OUEN 塾]
企業の応援→[OUEN COMPANY]
女性の応援→[重陽の会]
応援とはキャッチボール。応援して、応援される。応援の球を投げれば、応援の球が返ってくる。応援とは"やまびこ"のようなものだ。
私の人生の最後は、[OUEN Japan]で能登半島の復興を応援すること。それに関係する皆さんを応援すること。100歳まで現役で応援をし続けたいと思う。
念ずれば花開く(坂村真民)
人間の能力は無限だ。想いは必ず実現する(稲盛和夫)
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)
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